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栗原社長のブログ

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しくじり社長2

2019-06-02
私は入社するとき、父に「2年荷物担ぎ、1年総務、経理、2年営業で5年で社長にする」と言われました。そのつもりで、女性にはキツイ荷物担ぎやっていた2年目の春、業者会という親睦会の締めの挨拶で父が「来月から、眞由美が社長だ」と言ったのです。
業者さん、社員さん、皆びっくりしましたが、一番驚いたのは私です。
 
そういう人事て、普通本人に話してからじゃないの?
 
父は、それっきり何も話してくれません。経理にお願いして、勉強したいので1ヶ月先伸ばしにしてもらいました。
 
そして、自腹で6万円程払って、中小企業家同友会の大学に行きました。
せめて、決算位見れるようにならなければと思ったからです。申し込み用紙に社長が推薦文書く欄がありました「大変前向きで、優秀な社員です」と自分で書きました(笑)
 
温かく応援してくれる人はいません。
まず、飲食店を経営していたので、それを辞めるように、皆から言われました。
 
父は、「繁盛店ならやめる必要はない。ひとつの事も満足に出来ないやつもいる。人の使い方を覚えれば、二個も三個も商売は出来る。まして、この葬儀業も水商売だ」と言いました。
 
それで、売り上げの芳しくない店をたたんで、自宅側の花まるという居酒屋を残しました。
 
何故、人は葬儀をするのだろう。
 
いろんな本を読み勉強をしました。
 
当時は、まだ葬儀の営業をすると「縁起でもない!」と叱られる時代でした。
 
それで、縁起でもないですが。。。という手作りのチラシを作りました。字も絵も下手ですが一生懸命作り父に見せました!
 
父は、「なんだ、これは?お前なんか社長にするのではなかった!お前は、基本的な考えがずれてるから、こんなものを作るのだ!」と凄い剣幕で叱られました!
 
私は、訳がわからず、頭に来てドアをバンと閉めて、その日1日パチンコに行きました。
 
本当にしくじり社長ですね。
 
次の日、朝会社に出社したとき、私はいつものように、「会長、おはようございます!」と父に声かけました。父もいつもの通り「あ、おはよう」と言いました。
私は、自分が女で良かったのかも。と、その時思いました。
 

しくじり社長

2019-05-23
前にも書いたかもしれませんが、私は平成9年に(株)第一葬祭に入社しました。
 
それまでは、住友生命相互保険会社で上級特別指導所長をやり栄泉会という日本で上位100人が入れる会に入りました。
 
目的を失い、飲食店を副業で始めて、毎月100万円単位のお金が残り、それも成功してました。
今、思えば、3人の娘の子育てをしながら良く働いたものだと感心しますね。
 
そんな状態で、第一葬祭に入社したものですから、大威張りで入りバリバリ働きました。
服装も化粧も派手で、第一葬祭の社員にはとても嫌われました。
 
現場仕事でも、教えてくれる事は一切なく「今日は、どの現場に行けば良いですか?」と聞くと「数に入ってないから」と冷たく言われましたし、会社の飲み会も知らされてない有様でした。
 
ある時、ある中堅社員と大喧嘩しました。
頭に来た私は、「あんたが会社辞めても、第一葬祭は潰れない無いけど、私が会社辞めたら第一葬祭は間違いなく潰れるよ、どっちが辞める?」と迫りました。
 
なんという、浅はかな言葉。今なら、絶対言わないでしょう。若くて、日頃の鬱憤が溜まっていた私は、言い放しました。
 
暫く、無言の彼は「わかりました。会社辞めます!」
 
それから、その当時社長だった父には「一番辞めさせたく無い社員を辞めさせた」とガッチリ叱られ、他の社員からは総スカン食らいました。続く

ニセコへ行ってきました!

2019-05-06
史上初の大型連休も今日で終わりますね!
皆さん、満喫出来ましたか?
 
私は、毎日会社に出勤し、仕事こなしつつ、遊んでも居ました。
 
1日は、花見会。円山のナデュラさんで、美味しいお料理と女子会トークで盛り上がりました。
 
次の日は、雨の中ニセコに行きました。會田千夏さんという新進気鋭の画家さんの展示会が、有島武郎記念館で開催されていました。
やはり芸術的な一緒に行った友人、光穂ちゃんのいとこさんでした。
 
會田さん自身による説明もありました。
抽象画なので、この説明があって本当に良かったです。彼女がどのような想いでこの作品達が生れたて来たのかがわかったように思いました。大きな作品の前で能の披露もありました。
會田さんの友人ということでしたが、素晴らしかったです。是非、舞台も見に行きたいなと思いました。
3日は、総勢20人でBBQ!
昨日は、プリンスホテルで友人の漫画の原画展と、色々楽しみました。
もちろん、GWは仕事もはかどりました!
 
まだ、桜の花を愛でてないので、今日どこかで行ってみようかな?と思います!

さよなら平成!令和はどんな時代?

2019-04-25
ブログはいつも空いた時間にスマホから入力していたのですが、スマホの調子が悪く久々の更新になりました。
 
そんな中、平成もカウントダウンに入りましたね。平成から令和への改元という歴史的瞬間を、厳かに迎え入れたいと思うのは私だけではないと思います。
平成という時代はどんな時代だったのか?私は、昭和31年生まれです。昭和を32年過ごし平成を31年過ごしました。
 
昭和は、戦争があり戦後の復興がありました。団塊の世代の後の世代の私は、学生運動にも縁がなく少し冷めた目で時代をみていたように思います。
それでも昭和には、たとえ気のせいであってもバラ色の夢があったように感じます。頑張れば稼げる!稼いで良い車に乗る、ブランド品を買う、わかりやすい夢がありました。美空ひばりに代表される天才歌手が出ました。
 
平成は、戦争がなかった代わりに災害の時代でした。芸能界は、その辺にいそうな子達のグループが沢山出ましたね。
平成生まれの子達は、かっこいいスポーツカーに乗りません。軽のレンタカーで良いと考えています。映画館に行かずDVDを借りてきて見ます。
デートはドライブより自宅でゲーム。携帯代以外は無駄使いせずお酒もバカ飲みしません。
弱い立場の人を守ろうという動きもありました。昭和では当たり前だったパワハラセクハラが厳しく罰せられ、幼稚園のかけっこは皆一列一等賞。
ゆとり教育、そしてモンスターの父母に先生はおびえました。とても良い時代なような、百田の「カエルの来園」のようなちょっと気持ち悪さのあるやさしさでした(あくまで私感です)が、守られていた時代なのでしょう。
 
さて、令和はどんな時代になるのでしょう?令和が発表されたとき、命令の令に違和感を訴える声もありました。「上からの命令で皆無理やり仲良くさせられる」と騒ぐネット民もいたようです。万葉集は我が国が誇る最古の和歌集。天皇から貴族・下級官人そして農民・芸人など色々な人の歌が4500首収録されています。そこからの高い言霊から選ばれた「令和」。素晴らしい時代を作るのは私たちひとりひとりだと思います。
 
 
 

最近の傾向

2019-03-23
あってはならない事だけど、なくてはならない第一葬祭
 
先代の父が、昭和46年創業の時に考えたキャッチフレーズです。
当時は、葬儀の話もなかなかしづらい世の中でしたので、あってはならないが先にきて、なくてはならないと繋げて、第一葬祭。
なかなかうまいなと思います。
 
今は、葬儀の話が昔ほどタブーではなくなりました。葬儀やと蔑まれていたのが、葬儀社と言われるようになりました。
 
自宅にいると、満面の笑みでセールスが「お葬儀、いかがですか?」と来ます。
高齢化が進み、結婚式に呼ばれるより、葬儀に行く方が断然多くなりましたね。
 
それにつれ、葬儀も変わってきました。
ネットで葬儀を注文する人も増えました。
 
昔は、年収の半分位と言われた相場が、ぐんと下がりましたね。
 
直葬(シンプル葬・火葬式)は、当社は10万円ですが、ネットで見ると18万円から20万円位で出てます。
 
1日葬も、うちは15万円ですが、30万円以上するようです。
そして、供花はアレンジのみとか、料理飲み物は遺族様手配とかもあるようですね。
そして、お寺さんは2万円からご紹介しますとあります。
 
原価のかからない安い葬儀を高くして、他の所を安く押さえているように感じます。祭壇にアレンジがあると華やかになります。アレンジだけだと、供花を使い回す事は出来ません。
写真は、撮影なしが増えました。写真屋さんに頼まなくても、葬儀社で遺影写真作ります。
 
葬儀に関わっている業者さんは、大変だなと思います。
 
それも、時代の流れなのでしょうか?
 
しっかり時代を見据えて、そして、喪主様の立場に立って心のこもった葬儀をやっていきたいなと思います。
 
葬儀のトータルプロデューサーでありたいと思います。
 
どんな事でも相談下さいm(__)m
 
011‐872‐3284
 
株式会社第一葬祭
〒003-0837
北海道札幌市白石区
北郷7条4丁目6-13
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FAX.011-875-0424

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