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栗原社長のブログ

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モーニングセミナー講師を仰せつかりました!

2019-06-07
 
倫理法人会で毎週行っているモーニングセミナー、講師を頼まれました。
人前で話すのは本当に苦手で出来ることなら断りたいと思いましたが、倫理を学んでいる身、ありがたくお受けしました。
 
自分の生まれ育ちから、父の事、第一葬祭の事、仕事の話など、今思い返せばとりとめのない話過ぎたかな?と反省しています。
でも、この機会に自分の人生の棚卸をさせていただくことが出来ました。
本当にありがたいことでした。
 
沢山の仲間が、真剣に聞いてくれました。「栗原さんのとてもやさしい笑顔が、どうして作られたのかわかりました。」と言っていただけました。
失敗だらけのしくじり社長でも、皆様のお役に立てたようです。
改めてこの仕事を天職とした頑張っていきたいなと思いました。
 
倫理法人会は、朝の貴重な時間をこうして学びにあてています。朝が苦手な私ですが、早起きは気持ちの良いものです。
万人幸福の栞には私たちが忘れてはならない真理の道が記されていると思います。
 

しくじり社長4

2019-06-07
 
 
菊水の通リを走ると、不意に悲しみがこみ上げて来ることがあります。もう、あれから19年も経っているのにあの時の感情が風景にしみついているのでしょうか?
 
父が、入院していた北海道がんセンターからの帰り道。いつも、こらえていた涙を流した道です。
2000年6月29日父は72年間の生涯を終えました。癌が再発してからわずか一か月半で、あっけなく逝ってしまいました。
6月29日、この日は父の父、祖父の亡くなった日でもあり、私はいつも特別な気持ちでこの日を迎えます。(私もこの日に逝くかもしれない)
 
父は日頃「人間、惜しまれているうちに引退するべきだ」と言っておりました。連合町内会の会長はじめ色んな役職、この第一葬祭の社長職、すべて潔く引退していました。「だからって、人生まで」私は一生分泣いたように感じました。愛する父・尊敬する会長、子供の頃から尊敬する人は父と言っていた私でした。それなのに、最近は生意気に批判ばかりして、本当にごめんなさい。もっと、もっと、叱られたかった。
 
父は、死の間際私に言いました「俺の人生は、本当に良い人生だった。なにも後悔はない。お前も後を継いでくれた。孫も9人も出来た。俺の葬儀はみんなで酒を飲み交わしてくれ」まだ、72歳でそんなこと言えるものなのでしょうか?父は死期を感じていたから、たった2年で私を社長にしたのでしょうか?
 
一人、深い穴に落ちていくように感じました。全身傷だらけになったような気がしました。
たくさんの方に、力をいただいて仮通夜、通夜、葬儀、収骨終えました。1000人以上に方がお参りに来てくださいました。
 
私は、人生で一番大切な人を亡くして初めて、感謝をすることを学び、「死」とは「葬儀」とは何か…をやっと、実感したのでした。
お寺さんが、ある時お説教の中で、「亡くなった人と私たちは、少し前を歩いてる人と後ろを歩いている人の差です」というのを聴きました。
父の死は、こんなにも深く私の心をえぐりましたが、死は自然な事なのです。父は、残された私たちが悲しまないよう、良い人生だった何も後悔はないと言ったのでしょうか?お前もこのように生きれ、と教えてくれたのでしょうか?
 

しくじり社長3

2019-06-02
ある時、女性の社長さんなら葬儀の相談をしたいと電話がありました。西区の奥の病院でした。
 
営業鞄を持ち、約束の夜7時に病室に行きました。「私はもう余命幾ばくもないので、葬儀の相談をしておきたいの」痩せ細っているけど、綺麗な女の方でした。
 
その時の、私は死というものを、本で読んだだけの中途半端な人間でした。
目の前の覚悟を決めた女の人に、圧倒されてしまいました。
 
一通りの説明をして逃げるように帰ってきました。父のいう通りだ、私には社長の資格どころか、葬儀の仕事をする資格すらない。
 
今の私なら、どのような葬儀をしたいのか、ゆっくり聞いてあげれたのに、今でも悔やんでいます。
 
葬儀てなんだろう?と考える前に死について、もっと考えなければいけないのだと気づきました。
 
そして、私が思う存分「死」に向き合う時がやって来たのでした。

しくじり社長2

2019-06-02
私は入社するとき、父に「2年荷物担ぎ、1年総務、経理、2年営業で5年で社長にする」と言われました。そのつもりで、女性にはキツイ荷物担ぎやっていた2年目の春、業者会という親睦会の締めの挨拶で父が「来月から、眞由美が社長だ」と言ったのです。
業者さん、社員さん、皆びっくりしましたが、一番驚いたのは私です。
 
そういう人事て、普通本人に話してからじゃないの?
 
父は、それっきり何も話してくれません。経理にお願いして、勉強したいので1ヶ月先伸ばしにしてもらいました。
 
そして、自腹で6万円程払って、中小企業家同友会の大学に行きました。
せめて、決算位見れるようにならなければと思ったからです。申し込み用紙に社長が推薦文書く欄がありました「大変前向きで、優秀な社員です」と自分で書きました(笑)
 
温かく応援してくれる人はいません。
まず、飲食店を経営していたので、それを辞めるように、皆から言われました。
 
父は、「繁盛店ならやめる必要はない。ひとつの事も満足に出来ないやつもいる。人の使い方を覚えれば、二個も三個も商売は出来る。まして、この葬儀業も水商売だ」と言いました。
 
それで、売り上げの芳しくない店をたたんで、自宅側の花まるという居酒屋を残しました。
 
何故、人は葬儀をするのだろう。
 
いろんな本を読み勉強をしました。
 
当時は、まだ葬儀の営業をすると「縁起でもない!」と叱られる時代でした。
 
それで、縁起でもないですが。。。という手作りのチラシを作りました。字も絵も下手ですが一生懸命作り父に見せました!
 
父は、「なんだ、これは?お前なんか社長にするのではなかった!お前は、基本的な考えがずれてるから、こんなものを作るのだ!」と凄い剣幕で叱られました!
 
私は、訳がわからず、頭に来てドアをバンと閉めて、その日1日パチンコに行きました。
 
本当にしくじり社長ですね。
 
次の日、朝会社に出社したとき、私はいつものように、「会長、おはようございます!」と父に声かけました。父もいつもの通り「あ、おはよう」と言いました。
私は、自分が女で良かったのかも。と、その時思いました。
 

しくじり社長

2019-05-23
前にも書いたかもしれませんが、私は平成9年に(株)第一葬祭に入社しました。
 
それまでは、住友生命相互保険会社で上級特別指導所長をやり栄泉会という日本で上位100人が入れる会に入りました。
 
目的を失い、飲食店を副業で始めて、毎月100万円単位のお金が残り、それも成功してました。
今、思えば、3人の娘の子育てをしながら良く働いたものだと感心しますね。
 
そんな状態で、第一葬祭に入社したものですから、大威張りで入りバリバリ働きました。
服装も化粧も派手で、第一葬祭の社員にはとても嫌われました。
 
現場仕事でも、教えてくれる事は一切なく「今日は、どの現場に行けば良いですか?」と聞くと「数に入ってないから」と冷たく言われましたし、会社の飲み会も知らされてない有様でした。
 
ある時、ある中堅社員と大喧嘩しました。
頭に来た私は、「あんたが会社辞めても、第一葬祭は潰れない無いけど、私が会社辞めたら第一葬祭は間違いなく潰れるよ、どっちが辞める?」と迫りました。
 
なんという、浅はかな言葉。今なら、絶対言わないでしょう。若くて、日頃の鬱憤が溜まっていた私は、言い放しました。
 
暫く、無言の彼は「わかりました。会社辞めます!」
 
それから、その当時社長だった父には「一番辞めさせたく無い社員を辞めさせた」とガッチリ叱られ、他の社員からは総スカン食らいました。続く
株式会社第一葬祭
〒003-0837
北海道札幌市白石区
北郷7条4丁目6-13
TEL.011-872-3284
FAX.011-875-0424

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