栗原社長のブログ
栗原社長のブログ(画像はクリックすると拡大します)
黒い雨
2020-08-13
私が本当に小さい時、雨に当たると母が「放射能に当たるから」と合羽を着せてくれました。
今思えば、原爆が投下された直後に降ったいわゆる黒い雨の影響で発生している言葉だったのかしら?と思います。
原爆投下から75年の月日が流れましたが、「黒い雨」を浴び健康被害を受けたと住民達が訴えた裁判があります。
被告の広島市と県は国と協議した結果、全員を被爆者と認めた広島地方裁判所の判決を受け入れず、12日控訴しました。
84人の住民らからは落胆の声が漏れました。
なんの罪もない善良な市民の命を突然奪った原爆。直後の推定死者数は約14万人。現在は累計で50万人を超えております。
米紙ロサンゼルス・タイムスは5日、広島・長崎への原爆投下を巡り「米国は核時代の幕を開ける必要はなかった」と題し歴史家らが寄稿した記事を掲載しました。トルーマン大統領が原爆を使わなくとも日本が近く降伏すると認識していたことは証明済みだとし、「日本への核兵器使用をめぐる真摯な国民的対話」の必要性を訴えたと共同通信の記事にありました。
私は慰安婦像を見るたび、日本人が韓国人だったら(変な表現ですね)焼き場に立つ少年像をあちこちに建造しトランプが土下座している像も作っただろうかと悪考えします。ま、そんなことをしないところが我が日本人の誇らしいところだと思いますが。
共同通信社の記事は、米国の日本との戦争を経験していない若者の増加などで、当時の主張が変化の可能性もあると結んでありました。
戦争体験のない私が戦争の事を口にするのはおこがましい事ではありますが、今後、このような恐ろしい体験を私たちの子供や孫が受ける事のないよう祈りたいと思います。
近況報告
2020-08-02
夏日です。
6月も7月も今年は、あまり気温が上がらず、8月に入ってやっと夏らしくなってきましたね。
また、お盆過ぎたらすぐ寒くなりやがて雪も降るのでしょうから、この夏日も楽しみましょう。
最近、色んな読書会に参加(ズーム)して気が付いたことがあります。読書会はあらかじめ読書して、気になったところに線を引いて望むのです。
私が気になって線を引く所が、どうやら普通の人違うようなのです。開催して下さる方が「え?そんな箇所ありましたか?」困惑してしまい私も途方にくれるという具合です。そういえば、その昔[クイズ百人に聞きました]というクイズ番組で(ちょっと古いかな?)私だけいつもトンチンカンな答えを出していたことも思い出し、私ってそうなのか?と、自分自身を不安に思いながらもなんとか今まで生きてこれたことに改めて感謝しております。
謙虚に人の意見を聞かなければとも思ってるところでもあります。当たり前の反対語はありがとうだそうです。
さて、毎年皆様が楽しみにしてくださっている「アイリス祭り」今年は新型コロナウイルスの流行・蔓延に伴い中止とすることに致しました。
ただ、人形供養だけは受付させて頂きます。9月1日から5日までの5日間、長年お世話になったお人形さん達を供養して送りましょう。一体10円から。
何のために生きるのか
2020-06-30
第一葬祭に入社して23年が過ぎました。年間だいたい130件、約3000件の悲しみを送ってきました。
慣れるという事は、無いですね。ただ、心空しくなることもあります。人は、何故生まれ死んでいくのか?
人だけではありませんね、この世のものすべて形あるものは、いつかは消滅します。
そのことを世の無常に感じ、心の在り方を学ぶために宗教があるのでしょうか?
なかなか「死」と向き合うのは難しいです。
なんのために生まれて なにをして生きるのか こたえられないなんて そんなのはいやだ
時ははやく過ぎる 光る星は消える だから君は行くんだ ほほえんで
これはやなせたかしが作詞したアンパンマンのテーマの歌詞です。
なぜ生きて死ぬのかをテーマに哲学が生まれました。あんぱんまんマーチには哲学がありますね。
シェイクスピアは命は神様からの借り物と言いました。自分ではどうにもできないものだから借り物かもしれませんね。
写真は、どくだみ。畑の嫌われ者でもこうして飾るとなんか風情がありますね。
私も人生の終盤に入ってきました。悔いなく楽しんで生きて死にたいと思います。
自宅葬
2020-06-13
つい先月事前相談にいらした方の葬儀を致しました。
「私の葬儀の打ち合わせをしたい」といらっしゃいました。
妻が足が悪いので自宅葬にしようか?どうせ家族だけなのだから住み慣れた自宅から送り出して貰おうかな?とおっしゃってました。
色々見積もりしながらお話しました。とてもしっかりしてお元気そうにさえ見えました。
うちのホールもご覧になりますか?と尋ねるとそうだねと立ち上がりましたので、私が手を引いて、ゆっくりホールまで歩きました。
ホールに着いてホールの説明をしている時も手をお放しにならず、私とその方は恋人同士のように、ずーと手を繋いでました。
その、少しひんやりしたやわらかい手を思い出しました。
その方は、病院からご自宅でご安置して、次の日アイリスホールで葬儀をあげました。
ご近所の方も沢山会葬にいらしてましたので、自宅葬なら大変だったかも。
考えてみたら昔はだいたいが自宅葬でした。斎場費の分が節約になりますし、時間に縛られずご遺族様も住み慣れた自宅でリラックス出来ます。自宅階段が狭く棺が入らない、駐車場がないので隣近所に迷惑かける、ご近所に知れ渡るという点の注意も必要ですね。興味のある方一度ご相談にいらしてください!写真は先週の羊蹄山と真島さんという方が個人で植えた見事な紅桜庭園です。
時代と共に変わるもの変わらないもの
2020-06-12
コロナの影響でリモートワークやズーム会議が、当たり前になってきました。
葬儀もリモート葬なるものが出てきています。この新聞の投稿は未来の葬儀はリモートで、という事で理想的な事を書いてくれてます。
実際、もうリモート葬儀を手掛けている葬儀社もあります。
弊社も、どうしても会場へ来ることが出来ない方へライン動画で葬儀の様子を送った事もあります。
ズームやユーチューブを使えば複数の方に動画配信できます。手間だけで、お金もかかりません。
とても喜んでいただいてますが、「これがいい」が「これでいい」となっていくことに怖さを感じます。
リモート葬でネットを開いてみると、お寺さんもリモートで、感染リスクも防げます。ロボット僧侶を頼むと料金は格安の5万円です。
寺院の手配は葬儀社へ、料金は葬儀代金と一緒に請求致します。ミスリードとも言える文言が並びます。信仰心はどこへ行ったのかしら?
私達人類は、はるか昔から葬儀を営んできました。イラクで見つかったネアンデルタール人のお墓に、洞窟内では咲くはずのない花の花粉が見つかっています。原始的な暮らしの中でも仲間を「弔う」という気持ちがあったのですね。
時代と共に、葬儀のあり方が変わっていくのは当然の事かもしれませんが、「弔う」気持ちを忘れることのないようにしたいと思います。